
みなさんは「岩佐又兵衛」という人物をご存じだろうか。
まあ、僕は知らなかったのだがなんやねん江戸時代に活躍していた絵師である。
最近、この岩佐又兵衛を題材にした小説があったので読んでみたのだが、これがまたおもしろかった。
気になって、又兵衛が描いた作品をググってみたら、これがまたまあ奇抜。 ←
「浮世絵」というジャンルの中でも、かなり異質。色使いといい、描かれているテーマや人物、龍や鬼やグロ描写といい、当時の浮世絵師たちの作品と比べて、群を抜いた奇抜なメッセージを感じる。
まさに中二病という言葉がぴったりな絵師である。
確かに、世間の注目を浴びるには「異質」であることはごくごく自然のことなのだろう。
他の絵師たちとは一つ二つ違った作風なので、「そりゃ有名にもなるわな」と納得の作品ばかりだった。
ところが当時は江戸時代。異質であることはそこそこ命の危険があったりする時代なのだ。
将軍主催のお茶会でスズメの死体を描くなんて、尋常な精神ではないだろう。 ←
そういった「異質な芸術面」も興味をそそられたのだが、私がさらに興味をそそったのがここ。
彼は、生活に支障をきたすほどにヒドイ「吃音」だったのだ。
才能は苦手なことの裏側にある
そんなヒドイ吃音を患っているので、言葉を使ったコミュニケーションが難しく、人々に笑われ、さんざんな目に遭うのだが、そこで彼はとある「絵師」と出会い、浮世絵の世界へと没頭していく。
ただひたすらに絵を描いていくのだ。
この小説「絵ことば又兵衛」は、そんな彼の「吃音」という障害に深くスポットライトを当てている。
ググってみたが、彼の吃音にインフォメーションを置いている記事が全然ないのを見る限り、あまりピックアップされていない情報なのだろう。
しかし彼は、吃音であったゆえに、天才絵師だったのだ。
人とコミュニケーションをとれない。笑われる。ひどい目に遭う。悲惨だ。
だから、私は絵を描く。ひたすらに。この小説は、そんな作品だった。
又兵衛には、「絵」しかなかったのだ。
そんな彼の波乱万丈で情熱に満ちた物語を読んで、ハッとした。
才能は苦手なことの裏側にあるのだ。
それは、終盤で自分の人生を振り返る又兵衛の一言にすべて訳されている。
この世は紙だったのだ。己のために用意された紙だったのだ。
今、「才能」という言葉が時代を跋扈している感じがして、とても息苦しい時代だなと感じている。
才能がなきゃダメだ、そんな風潮すらうかがえる。
僕もそんな「才能の有無」に苦しむ人たちの1人だが、そんな人にぜひ読んで欲しい。
物語としてももちろんおもしろいのだが、又兵衛の持つ障害と才能の関係が、熱を帯びてページから訴えて来るのだ。
才能は苦手なことの裏側にある。
僕にも、もちろん、あなたにも。